大阪府医師会の東北大震災被災地医療支援参加報告

3.謹んで震災・津波・原発事故のお見舞いを申し上げます。


 日本医師会災害医療チーム−JMAT(Japan Medical Association Team)の報告をします。

 厚労省の肝煎りで発足した災害派遣医療チーム−DMAT(Disaster Medical Assistance Team)の活動が72時間に限定されている意味は、肉体的な限度だけを考慮したのではなく、精神的な限度が72時間であるのだということを実感しました。

 大阪JMATの一員として、私が派遣されたのは岩手県大槌町です。大槌町は人口が15,000人の過疎の町です。昭和50年代は22,000人であった人口が減り続けています。町を出る人が後を絶たなかったそうです。今回の津波で755名死亡されました(うち身元判明しているのは300名位)。その上950名の住民が行方不明です。隣の釜石市と合併になるのではないか、と地元の人が話をしておられました。

 医療事情についてですが、県立大槌病院には内科医が3名おられ、60床の入院設備がありました。3名とも無事で、4月26日から小鎚神社の上町ふれあいセンターに仮診療所を設け、診察を始められています。しかし院長は今年定年なのでお辞めになるかもしれません。周辺地域には6名の開業医がおられ、1人は隣の釜石市に移られ、もう1人は盛岡に移られたとの事です。5月6日から2名、また5月11日から1名が大槌町で仮診療所として再開されました。

 大阪JMATは当初、県立大槌高校の救護所へ派遣されていましたが、4月26日から高校の授業が始まるので、体育館のみの避難所になり規模が縮小されました。そのため高校は青森・長野県チームが受け持ち、大阪は弓道場に支援先変更になりました。もうひとつの城山避難所は沖縄県チームが入っています。私が派遣された大槌町スポーツセンターの弓道場内の救護所には、釜石医師会の副会長をされている植田俊郎先生(56歳)がおられました。地震のあった3月11日、植田先生はご自身の医院で診察中でした。ニュースなどで津波を見たため、往診カバンとAED(体外式除細動器)を持って自院の4階屋上に避難されました。そこで一晩を過ごされた後、翌12日に自衛隊のヘリコプターによって助けられたとの事です。その日から約800人の避難者の一人として弓道場に避難所暮らしをしながら、妻子とともに診察を続けてこられました。とても出来ることではありません。現在避難所には約200名がおられます。5月1日から近くに住居を見つけられ、午前中は弓道場で診察、午後からは引越し作業か往診をされていました。

 わたしたちが到着した4月30日の時点では、植田先生は、盛岡で開業されている弟さんのところで一緒に診療所をやるか、県立大槌病院の勤務医になるか悩んでおられていました。わたしと一緒に派遣された寝屋川市医師会の小澤クリニックチームの女性事務長の山口さんが非常に積極的な方で、植田先生がノートに書きとめていた診療録をコピーして、切り分けて、全てカルテ用紙に貼り付けていってくれました。次の伊藤先生のチームがそのカルテの全部に病名を記載してカルテが完成しました。それを見られた植田先生は、5月4日にわたしたちが帰る頃には「この地で仮診療所を近く作ります」と宣言してくださいました。おそらくこの大槌町で再開院されます。植田先生を応援してあげたい気持ちでいっぱいです。物欲のない、穏やかな人物で、慕ってこられる患者さんの多さにビックリしました。大槌町弓道場には多くのボランティアが入っています。

 自衛隊のかなり大きな部隊が入り、朝にパン、夕方にも食事を運んできてくれます。12時から夜の9時まで毎日、自衛隊設営のお風呂に入れます。5月3日は40名の東北方面吹奏楽団の慰問があり、楽しい1時間が過ごせました。自衛隊の人は良く働きます。非常に頼もしく見えました。

 また、毎日高校生・大学生が津波で散逸した写真を水洗していますし、3日間ともにカーテン屋さんが洗濯サービスにもきていましたし、歯科治療のサービスも1日ありました。連休でしたので、ラーメン、餃子、カレーの炊き出しが計4回ありました。我々は基本的には持参してきたものを食べていますが、お昼のラーメンがたくさんあまったとの事があり、いただいたこともありました。

 支援チームの構成メンバーは医師1、看護師1、薬剤師1、事務1と4業種が揃って入るほうが良いと思います。歯科の需要があるので、歯科医師会に呼びかけてチームに1名入ってもらうともっと良くなると思います。5日間の滞在中、一人の歯科医師(浅岡伸一郎:静岡県牧之原市地頭方95-1)がバンで寝泊りしながらたった一人で避難所めぐりをされているところにでくわしました。静岡県歯科医師会からの災害地派遣がないので単独行動をされています。歯科の需要は多いので、我々も大阪府歯科医師会と歩調をあわせて協力し合えればよいかと思いました。

 避難所滞在型の診療は5月いっぱいで終了。6月からは避難所めぐりの巡回型で対応することになりそうです。岩手県全体の医師数が少なく、岩手医大も応援を出していますが、外科系と眼科の診療がそれぞれ週1回あるだけです。外科疾患は県立釜石病院送りになります。岩手県、東北全体に支援が必要です。

 大阪市には姉妹都市がサンフランシスコ、サンパウロ等6市あります。友好都市3、友好協力都市3、ビジネスパートナー12、姉妹港6、友好港1と多くの都市と友好条約を結んでいます。大阪府医師会もソウル特別市医師会と姉妹条約を結び相互訪問をしています。大阪府医師会が岩手県医師会と友好条約を結ぶ、大阪市北区医師会が釜石医師会と友好医師会になるなどの方法で、日本中の医師会がどこかの医師会と友好関係になっておけば、有事の際の助けになるのではないでしょうか。友好医師会になっておれば、お互いに支援し易いと思われます。

 この1週間、ボランティアで来る2つのチームとご一緒させていただきましたが、本当に気持ちのいい人ばかりで、彼らと知り合えただけでも、大きな財産です。若い人は、すごい力を持っています。

 5月5日、大槌町滞在の最後の日です。帰りは花巻から空路にて帰阪しました。機上から、かの地がはっきりと見えなかったのは天候が悪かっただけとは思いません。また、夏休みか、シルバーウィークに大槌町に帰ってくるつもりです。

(古林医院 古林 光一)